みなさんは『お金の価値』について考えたことがありますか?
ちょっと言い方が抽象的でしたね。
我々が使っている「硬貨・紙幣」になぜ『価値』があると思いますか?
例えば、今近くにある紙に『1万円』と書いて
「今日からこれ1万円だからね!」と言った場合、周りはどんな反応をするでしょう。
「こいつ頭おかしくなったか」
「そんなものただの紙切れだろ」
「1万円もの価値はないよ」
などの意見がでると思います。
では、なぜ我々が使っている「硬貨・紙幣」には価値があるのでしょうか。
もっと言うと、なんで紙切れ(1万円札)で食品や日用品か買えるのでしょう?
今回は通貨の成り立ち・定義について記載されている学説の『商品貨幣論』について説明します。
確かに、ちゃんと考えたことなかったなー。お金には価値があるって根拠もなく思ってたよ。
普通そうだよね!学校でも教えてくれないし、教わる機会もないしね。
「通貨の成り立ち・定義」については、『商品貨幣論』以外にもいくつもあります。
他には『信用貨幣論』『国定貨幣理論』『現代貨幣理論(MMT)』などです。
それぞれ後日まとめますので、しばしお待ちください。
目 次
商品貨幣論とは

商品貨幣論とは、『モノに価値があるからお金にも価値がある』という考えになります。ひいては「モノの信用」ということです。
この考え方を説明するためには、お金の始まりから理解していく必要があります。
「昔は物々交換で必要なものを手に入れていた」というのは聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
それはなんか聞いたことあるよ!!
「魚とお米を交換する」みたいなことだよね!
昔は物々交換で交流していた
昔は『お金』という存在が無く、物々交換をして生活していました。
「農家の人はお米をたくさん持っている」
「漁師は魚をたくさん持っている」
このような場合は、それぞれの持っている「商品」を交換することで自分にとって必要なものを調達していたのです。

ただ、物々交換はあまり容易なことではなく、大きく2つの難点があります。
1つ目は
「自分が持っているもの」と「相手が欲しいもの」が合致して初めて物々交換が成り立つということです。
例えば上記の図だと、
「農家の人がお米を持っていて魚が欲しい」思いと「漁師の人が魚を持っていてお米が欲しい」思いが合致したからこそ物々交換が成立したのです。
片方が相手の商品を欲していない場合は、物々交換は成立しません。
2つ目は
「商品」には期限があるということです。
農家の「お米」や漁師の「魚」はいつか腐ってしまいます。
運よく「自分の持っているもの」と「相手が欲しいもの」が合致しても、自分の持っているものが腐っていたら、それは何の価値もありません。
上記の2点が「物々交換」の問題点でしたが、解決策として共通の価値を持った商品、つまり現在の貨幣が発明されるのです。
貨幣の発明
物々交換の問題点だった「交換相手が見つからない」「商品が腐る」という部分を共通の商品を用いることで解決します。
その共通の商品は「貝殻」だったと言われています。(他にも塩や穀物などもあった)
まず、農家の人はお米を貝殻へ変換し、魚が欲しい時は貝殻を魚と交換します。今のお金と同じ取引の仕方ですね。
この共通の商品のことを『物販貨幣』といいます。
つまり「すぐ交換できて」「腐らない」モノに価値を見出して貨幣としたということです。

ただ、貝殻では問題があります。
みなさん気づいていると思いますが、貝殻は海辺に行けばいくらでも拾ってこれますので、お金を簡単に増やすことができます。
これでは、適正な取引をすることができません。
そこで「貝殻」の代わりに重宝されるようになるのが、「貴金属」いゆる「金」です。

「金」の場合だと、そう簡単に増やすことはできません。
採掘とかをすれば増やせるかも知れませんが、それは現代も同じです。
採掘するにはそれ相応の労働は必要になります。
これで適正な取引ができるだろうと思いましたが、そう簡単ではありませんでした。
更なる問題が浮上します。
「金」は希少であり、数が少ないため「貨幣」としての価値があったのです。
ただ「金」そのものを「貨幣」として使用すると純度・重量の確認がすごく手間となります。
「金」は重さで価値が変動しますが、重くても不純物が混入していてはいけないので、純度の計測など余計な作業が増えてしまいます。
それを解決するために、政府が一定の純度・重量をもった「貨幣(金貨)」を発行します。

これで、すべての人々が一定の価値を持った貨幣を手に入れることができる状態になり、貨幣の需要が貨幣の価値になっていったということです。
つまり『みんなが貨幣に価値があると信じているから貨幣には価値がある』ということになります。
貝殻がお金の始まりであった証拠として、お金に関する「漢字」は貝がつくものが多く存在しています。
例)買う、購入、貧しい、貨幣、賄賂、財産、賃貸、費用
兌換(だかん)銀行券の発行
貨幣の普及に伴い紙幣も発行されます。

この紙幣は、金との交換が『約束』されてます。
つまり、この紙幣を銀行に持っていけば金と交換してくれるということです。
これは政府との『約束』ですので、信用度はかなり高いです。
このように「金」との交換が『約束』されている紙幣のことを『兌換銀行券(兌換紙幣)』といいます。
先に記載した通り、貨幣(金)には価値があるので、金と交換が『約束』されている『兌換銀行券』も価値があるということになります。
逆に「金」との交換が『約束されてない』紙幣のことを『不換銀行券(不換紙幣)』といい、私たちが今使用している紙幣のことをいいます。

商品貨幣論の問題点
ここで『商品貨幣論』について軽くおさらいをします。
昔は「物々交換」から始まり「物品貨幣」の発明、「金を用いた貨幣」への進化、そして「兌換紙幣」への発展。
『モノに価値があるからお金にも価値がある』という考え方であり、「モノを信用している」ということにも繋がります。
この考え方に基づいて「お金」というものが発明・発展し、今まで受け継がれてきた。というのが『商品貨幣論』の基本になります。
ただ何点か『商品貨幣論』ではうまく説明できない部分があります。
次に代表的な問題を説明していきます。
- 不換銀行券の説明が難しい
- 昔の共同生活における物々交換が否定される
不換銀行券の説明が難しい

先ほど説明した通り『不換銀行券』とは「金」との交換が『約束されていない』紙幣であり、我々が今当たり前のように使っている紙幣でもあります。
でも、1万円札で「金」を買うことはできるよね?
確かに今は買うことができますが、インフレなどが起こりお金の価値が下がった場合、「金」を購入することはできませんし、「買う」ことと「交換」することは意味合いが少し違います。
そう考えると『約束』されているとは言えません。幾分が不確実ということです。
つまり「価値のあるものと交換が『約束』されていない紙幣」に何の価値があるのか?
ということです。
この点が『商品貨幣論』では、うまく説明できません。
昔の共同生活における物々交換が否定される
昔は「物々交換」で生活をしていたというのが『商品貨幣論』の前提の考え方ですが、「実際はそんなことないのではないのか?」という考えがあります。
物々交換をするには「タイミング」と「商品の合致」が重要であり、実際問題として、そのタイミングを見計らうより個々人の「口約束」等で、商品のやり取りをしていたのではないかということです。
例えば
農家「漁師さん!今度お米あげるから魚ちょうだいよ~」
漁師「いいよ~、農家さんには優しくしてもらってるからね~」
のようなやり取りがあった場合、これは「物々交換」ではなく漁師が農家を『信用』しているから商品のやり取りが成立しており、お金の価値は『モノ』ではなく『信用』なのではないか?ということです。

つまり、お金の価値とは「モノの信用」からではなく「発行体(人)の信用」という考えです。
この考え方を『信用貨幣論』といいます。
上記の通り『商品貨幣論』では説明ができないことがいくつかありますが、逆に『信用貨幣論』でも説明が難しい部分がいくつかあります。
まとめ
『商品貨幣論』にまとめます。
【お金の価値=モノの価値】
昔は物々交換
↓
物販貨幣が発明される
↓
「金」の価値が見出される
↓
政府により一定の価値を持った貨幣の流通
↓
兌換紙幣の流通
【商品貨幣論で説明できない部分】
- 不換銀行券の説明が難しい
- 昔の共同生活における物々交換が否定される
上記に記載した通りになります。
今回は『商品貨幣論』の「お金の価値」にピックアップした内容になっております。
「財政面」や「貨幣の供給方法」については掘り下げれていないので、後日まとめたいと思ってます。(しばしお待ちください)
「お金の価値」を知ることで、自分たちが使用している「通貨・紙幣」にも少しずつ興味が出てくると思います。
そこを学ぶことが『金融リテラシー』をあげる第一歩ではないかと思います。
これからもお金の勉強をして行きましょう!
では、また!